コードレビューのおきもち
今日、わりとふと感じたことがあったので、一応メモしておこうかと思って書いてます。 チームでペアレビューの話が軽く出て、あぁ、そうかと納得したのですが、レビューってどう感じてますか? レビューって、以下のようなことを目的としてやってるかと思います。
- 多角的な視点でコードを見て、不具合を減らす
- タイポの防止
- メンバー間のコミュニケーション
- 人に説明できるコードを書けているかの確認
よく言われてるから、今更どうとかではないし、上記を考えるとレビューをやる意義があると考えています。
ただ、まだ駆け出しの頃は、レビューをするのもされるのも苦手でした。 振り返ってみて、なんで苦手だったかは、既に自分の中で答えが出ていました。
なんかケチつける or つけられてるみたいでマイナスなおきもち
どんなにメンバーの関係が良好でも、言葉を選んでも、1%はそういう意味合いが僕にあったし感じていました。(関西人だから、自意識が高いのかなw?)
でも多分、それは今でも変わっていないので、だから、今でもする時もされる時も気を使っています。
で、その気を遣うっていうのは、間違っていないんだとも思っています。
コードレビューじゃなくても、普段の生活をしていて、誰かに指摘や注意をする時って、気を遣いますよね。
それは、関係性をうまくし続けるために、必要な人間的活動なんだと思います。
じゃあ、そのもやもやした意識を持ち続けて今後レビュー活動に勤しんでいても良いものかと、多分漠然と思っていたんでしょう。自分が。 でですね、やっと感じていたもやもやを打ち勝たせる魔法の考えがふと頭をよぎったのでした。
コードレビューに対話やコミュニケーションの意義を見出すことに近いのですが、多分、僕が今後、レビューやペアレビューをするときは以下の思いを持って接していると思います。
僕の思想や考え方をあげるからちょうだい
レビューをですね、いろんな人とすることによって、ペアになった人の思考や思想がどんな形であれ、自分の中に流れてきますよね。
それを受け取ったら、どのような感情を抱いても自分の中には入ってきてるんですよね。多分。そういう自分の考えじゃないものをいっぱい受け取って気に入ったものを反芻することで、自分の感性がブラッシュアップされていくんだと思うんですよね。
今、僕が立っている場所はそういう活動を活発にしようとしているから、若いエンジニアは、広い視野を持ったり、知識を得る機会に恵まれて早く成長できるんだろうなと思ったんですよ。
良いアイデアなのかそうでないのかを相対的に判断する必要はなくて、受け取った人の感性で継承していけばいいんじゃないのかな。それを個々人がコミュニティでやっていれば、自然淘汰されて良いアイデアが残っていくのではないか。自分のクローンは作らなくていいけど、いわゆる上位のエンジニアレベルの人間をできるだけ早く作るために、良いアイデアの生存競争を活発にすれば良いのではないかと。
まぁ、であるならば生存競争の機会はレビューじゃなくても良いんだけど、レビューはわかりやすい場であるかな。 そう思えば、多少苦手でも、苦にならないなと自分は思った次第です。
なんで今さらそんなことをふと思いついたのかはよくわかりませんが、WEB+DB PRESS
を執筆させて頂く機会に恵まれた事は関係していると思います。
エンジニアになってから、よく目にする機会があった本に執筆させて頂く機会を与えてくださり、ありがとうございました。
報告することが遅れてしまって申し訳ありませんでしたが、自分の知識の棚卸しを本にするという、なかなか体験できない経験をさせて頂いた技術評論社 池田様や、弊社メンバーに感謝しています。